3.11 以降の子どもたち

東日本大震災から2年目の2013年の3月11日は、仙台で迎えた。

3.11以降の子どもたちの様子を冊子にまとめるという仕事で、前日は福島県郡山市内で開催された子ども向けのイベントの取材。放射線の影響で外遊びができない子どもたちのために、室内でも親子で楽しめる体遊びのワークショップや屋内遊び場などを訪問。一見、東京の親子連れと何ら変わった様子はないけれど、何人かのお母さんからは「外遊びもハイキングも県外にまで出かけている」とか「線量計が手放せない」「今まで以上に子どもの健康状態が気になる」など、放射線同じように目に見えない恐怖と闘っている親子の生活の厳しさを突き付けられた。

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11日は朝から被災地を巡る。最初に訪問したのは東松島市内の仮設住宅。建築家の有志による“帰心の会”が取り組む「みんなの家」、ここは蔦屋を運営するカルチャー・コンビニエンス・クラブがサポートする「子どものみんなの家」の竣工間近だった。仮設住宅内にある住民のための集会所には10人以上の方々がテレビを見たり、マッサージチェアで寛いだり、グループで手芸や工作をしながらおしゃべりしたりしておられた。手芸や工作の完成品はボランティアに来てくれた人へのお礼に差し上げるそうな。一見、和やかなおしゃべりの会のようだったが、別れ際に一人のおばあ様から「昼間は何とか過ごしているけど、夜、一人でいると不安で泣けてくるんだよ。私だけでなく、みんな同じ・・・」と話しかけられた。即座に返す言葉が見つからなかった。

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午後は全校生徒の7割が犠牲になった石巻市の大川小学校を訪問。地震発生した午後2時46分に黙とうが捧げられるという。外観だけを留める校舎は柵が張り巡らされて立ち入れないが、その周りに碑やお地蔵さまが建てられて、たくさんの献花が唱えられていた。すぐ横に北上川が流れる風光明媚な土。今はすべてが流され、残っているのは鉄筋コンクリート造りの校舎だけ。

10日と11日は、3月といえ、晴れていても気温が低く、冷たい強風が吹きすさび、東京人にとっては身も凍るような気候。3.11の当日も小雪が舞う寒い日だった。福島県では放射線の影響で、子どもたちは屋内に閉じ込められたまま。それだけでなく子どもの多くが県外に移ってしまったために、園児が激減して経営困難に陥っている幼稚園や保育園もたくさんあるとのこと。東北各地に建てられた仮設住宅の多くも、人郷離れた場所にあるため、ほとんどの人の日常生活は閉じ込められたまま。そして取材を通して出会った郡山のお母さん、仮設住宅の人たち、小児科の先生やお寺の住職さん、みんなが言っていたのは「目に見える希望や夢がほしい」。

未来をつくる子どもたちのために、デザインで何ができるのか・・・。これから「子ども」と「デザイン」を軸に、感じて、知って、思って、考えたことを記していこうと思います。

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