トルコ〈2〉 カッパドキアと地中都市

イズミールからイスタンブール経由で、カッパドキアへの起点カエセリ空港へ。このあたりは中部アナトリア地方と呼ばれる高原地帯。BC15世紀(資料によってはBC20世紀とか、古すぎて起源が特定できない)には、ヒッタイト帝国の領土として栄えていたそうだ。

カッパドキアは街ではなく、地方の名前。拠点となる町が4つほどあり、その周辺に有名なキノコ岩、洞窟住居、地下都市が点在しているが、お散歩気分で回るのは無理。自転車で頑張る人もいたが、相当根性が要りそう。普通はツアーに乗って団体行動するか、レンタカーを借りるか、高いけど個人ツアーやタクシーを頼むか、効率的ではないけどバスを乗り継ぐが、という選択肢になる。

ルドルフスキーの『驚異の工匠』の読後、ずっと憧れていたカッパドキアの台地を踏んだときは感動もひとしお。夜の9時を回っていたが、漆黒の夜空に満月、クルマやテレビなど人工音のまったくない世界、ホテルは洞窟、カッパドキア産ワインで乾杯。・・・はるばる来た甲斐があった!

次の日、個人ツアーを頼んで、日本語を含む4カ国語を話すトルコ人のガイドさんに見所に連れて行ってもらった。いろんなところを効率的に回ったが、ヒッタイト人が敵に攻め込まれたときのために造ったという地下都市、ギョロメ谷の岩窟教会群(中国敦煌の莫高窟のキリスト教版)などが、やはり人間のとんでもない内なるエネルギーを感じるという点で圧倒的。

地下都市は、最近ITの進歩のお陰で重力から開放されたような自由曲線の建築が出現してきているが、引っくり返り度はこちらの方がすごい。空間の縦横無尽ぶりは、ある朝突然虫に『変身』したザムサのごとく、蟻んこになって蟻の巣に迷い込んだような気分を思う存分楽しめる。外に出ると、ガイドさんが向こう側にある小高い丘を指して「あの丘だけ形が違うでしょ? あれは地下都市を掘ったときに出てきた土砂の捨て場所ですよ」。戦争という非常事態の時のために、こんなとてつもない大工事を実行するなんて、スゴイ。

ギョロメ谷にある岩窟教会も負けていない。巨岩を穿ち、壁面を漆喰で整えて、空間中に信仰の対象を描く。地下都市もそうだが、いったいどんな道具を使って掘り進んだのだろう。こうした教会が大小30もあるのだそうだ。ローマ帝国の弾圧から逃れてきた修道士がカッパドキアに来たのは3世紀頃だという。彼らはどんなことを想って、ここに暮らし、岩を穿ち、聖人たちを描いたのだろうか。

エフェソスでも個人ガイドを頼んだのだか、2人とも話しの始まりが5000年前からだった。その間、ヒッタイトだの、バビロニアだの、ペルシアやギリシアなどなど、歴史の復習のようだったが、彼らは現代でも5000年の歴史と暮らしているのですね。スゴイ!

KAP_1 KAP_2 KAP_3 KAP_5 KAP_6 KAP_7

トルコ〈1〉 生活都市イズミール

デザインに関わる仕事をしておきながら、最近、個人で行く旅先には「世界遺産」なんて、悠々自適のシニアが行きそうな場所を選んでしまう。それも、辺境の地にその栄華の痕跡を残している古代遺跡とか、なんでこんなところにこんなものを?という、荒唐無稽なモニュメントなど、人間の内なるエネルギーの強さを実感できる世界遺産だ。さらに、そこに辿り着くまでの移動時間や交通の不便さが大きいほど、感動も大きい。やはり、感動は「楽」しては得られないのかな?

さて、この夏は、トルコに行ってきました。

トルコ。特にカッパドキアは、学生時代にバーナード・ルドルフスキーの『驚異の工匠たち―知られざる建築の博物誌』を読んで以来、絶対に行きたい場所のひとつだった。ところがトルコは、国土は日本の約2倍、各都市間の主要交通は長距離バス。また、国中に世界遺産はもちろん魅力的な遺産や都市が点在していて、10日程度ではとても回りきれない。・・・ということで、迷いに迷って、イスタンブール、エフェソス(イズミール)、カッパドキアを厳選。都市間移動は飛行機を使うことにした。

最初の訪問地はイズミール。5000年以上の歴史をもちながら、1919年~のギリシアとの争いで戦禍に会い、現在、街中には歴史的建造物の類はほとんど残っていない。しかし、エーゲ海に面した温暖なトルコ第三の都市だ。

まったく期待していないイズミールだったが、生活都市としてはとても魅力的だった。街は中心部から海岸線に沿って左右に広がり、その水際のほとんどが広々とした公園になっていて、対岸を結ぶ主要交通機関は定期船。晩夏という時期もあっただろうが日暮れ近くなると、市民が家族や友人と海辺にやってきてピクニックに興じる。公園に沿って何十件というレストランやカフェが軒を連ね、夜遅くまで食事を楽しむ。地中海に面してエアーコンディションが普及していないイズミールは、夕方になると気温も下がって快適そのもの。夜の8時頃、地中海に沈む夕日を眺めながらのワインやビール。イズミールの人々はこんな至福な時間を日常的に楽しんでいるのだ。もちろん、街には旅行者立ち入り禁止の、貧しく、それだけに危険な地域もある。しかし、この地域の住民だって、2,30分も歩けば海辺にやって来ることはできる。夕陽を眺めながら、持参したお茶を飲むために料金はいらない。期待薄の街だっただけに、イズミールの日常的な豊かさは心に滲みた。

2日目に、イズミールからクルマで90分ほどのエフェソス遺跡を訪ねる。古代ギリシア・ローマ時代の遺跡でお決まりの屋外大劇場、超有名なケルスス図書館、対岸のエジプトからやってきたクレオパトラが下船して歩いたというアルカディアン通りなどももちろん素晴らしい。大理石に刻まれたギリシア語やラテン語のレリーフ、タイプフェイスの美しさも記憶に残る。

行ってみて驚いたことが2つ。ローマ時代には海に面していたエフェソスだが今は土が堆積し、海岸線は5キロも先になってしまっている。2000年という時の流れは地形を変えるほどの歳月なのだ。もうひとつは、エフェソスの発掘はまだ途中段階で、現在はただの丘に見えるその土の下には、まだまだ華麗な古代遺跡が眠っているらしい。そういえば、マチュピチュ遺跡も発掘が続けられ、年々の遺跡の規模が拡大していると聞いた。

IZM1 IZM3 IZM4 IZM5 IZMtop