インド建築ツアー<6> デリーでの半日だけの解放

ダッカから、カルカッタ経由で、この旅の最後の宿泊地デリーに着いたのは、夜10時頃。皆で旅の無事を祝って最後の晩餐をする予定だったが、レストランはどこもすでにクローズ。仕方なく、24時間オープンのカフェテリアで、ハンバーガーやフレンチフライを摘む。

そして最終日、早朝から真夜中まで、ただひたすらコルビュジェとカーンの建築を訪問していたツアー面々に与えられた自由時間はたったの半日。この短い時間では、やり残している、ショッピング、街の探索、アユーラベーダのエステ、究極のインド料理堪能のすべてをこなすことは到底不可能。泣く泣くアユーラベーダを諦め、さっそく街へ。ところが、日曜日なので一般的な商業施設はどこも閉まっている。

それでもめげず、まずは1時間程度で見学できそうな「ジャンタル・マンタル」(天文観測所)へ。このような天文観測所はジャイプールのものが最大で、他にもウジャイン、バナーラス、マトゥラーなどインド各地にある。これらは18世紀初頭にジャイプールの街を造ったジャイ・シング王によって、天文観測のために建設された。日時計、子午線議、照準議などの建造物は同時に表現主義的建築のような魅惑的な造形物でもある。

さて、デリーの「ジャンタル・マンタル」は、現在は公園施設のようで、インド人であれば無料、外国人は幾らだったか忘れてしまったが、インドの物価からすると結構な料金を支払わされた。しかし、園内はきちんと整備され、今から300年ほど昔のマハラジャの夢を体感できる。それにしても、ここで「かくれんぼ」をしたらさぞかし楽しいだろうなあ。

経済発展が期待されているブリックス(BRICs=ブラジル、ロシア、インド、中国)の一国として注目されているインド。そんなインドが経済発展ばかりでなく、今後、インド人による、インド人のための、どのようなインド建築(文化)を生み出してくれるのようでしょうか? アユーラベーダをやり残しているのでもう一度インドを訪問したい私は、コルビュジェとカーンの建築を見終わって、そう想うのでした。

yasuko_india0602 yasuko_india0604 yasuko_india0605 yasuko_india0607 yasuko_india0608

インド建築ツアー<5> インドからバングラディッシュ、ダッカへ

チャンティガールでの怒涛のコルビュジェ建築探訪の次は、バングラディッシュの首都ダッカにあるルイス・カーン設計の「国会議事堂」だ。日も明けない早朝にチャンティガール駅を出発し、デリー、南インドのカルカッタ経由でダッカに向かう。しかし、デリーからダッカへの直行便はなく、遠回りだがカルカッタ経由となる。トランジットのための最低3時間は必要なインドの航空事情。飛行時間は合わせてせいぜい3時間ほどなのに、デリー空港、カルカッタ空港で途方もない時間を過ごす。免税店もカフェもない空港ロビーで、日本から持参した本を読むしか、することがない。結局、早朝にチャンティガールを出発して、ダッカのホテルに着いたのは日付も変わろうかという時刻。けれども、すぐにベッドでお休みはできない。なぜなら、私たち一行の到着を待ってくれていた、カーンの議事堂プロジェクトをサポートしたバングラディッシュの建築家たちとの懇親会が用意されていたのだ。ここまで来れば、体力と胃袋の限界への挑戦・・・でしょうか?

・・・しかしながら、建築巡礼者の面々は、映画「マイ・アークテクト」のクライマックスシーンだった朝靄に映る日の出の議事堂を確認するために、夜も明けない早朝にホテルを出発するという。私は当然ながら、ご遠慮させていただいた。

彼らに遅れること2時間ほど、胃袋の中に懇親会での食事が消化されずに残っているすっきりしない体調で、それでも朝8時頃ホテルを出発。一足先に議事堂に集結していた巡礼者の方々と、カーン設計の「アユブ病院」で合流する。カーンの建築は、今回アーメダバードの大学に次いで2度目。同じように幾何学的で赤レンガ造り。

そしていよいよ「バングラディッシュ国会議事堂」を訪問。皆さんはすでに「議事堂の日の出」を堪能された後だったが、私は初対面。人工湖畔に佇む威風堂々とした建物は、まるで古代の遺跡のよう。時空間を超えた圧倒的な存在感。今回のトピックスは外観だけでなく、内部に入れるということ。厳しい身体検査の後に、バングラディッシュ国民もめったに入れないだろう議事堂内部を見学する。

とにかく、スケールが大きすぎて、言葉が出ない。写真を撮ろうにも、撮りきれない。

カーンが設計し、64年に着工して完成するまで約20年。74年に亡くなった建築家は建物の完成を見ることが出来なかった。世界でももっとも貧しい国のひとつであろうバッグラディッシュの国民が、20年という歳月をかけながら、めげることなくこの建築物を完成させた。彼らにとってこの建物は、大きな誇りなのだろう。バングラディッシュの国民と老齢ながらアメリカからやってきた偉大な建築家に敬意を表します。

yasuko_india0502 yasuko_india0503 yasuko_india0504 yasuko_india0505 yasuko_india0506

インド建築ツアー<4> チャンティガールへ、その2日目

3月2日は早朝から、「建築学校」、渦巻状に成長する美術館構想のひとつ「チャンティガール美術館」、中央官庁エリアにある「高等裁判所」、「チャンティガール議事堂」、「美術学校」を訪問。

中央官庁エリアにある「高等裁判所」では、玄関に設けられた巨大な3本の塔状の壁が圧巻。それぞれ緑、黄、橙色に塗り分けられており、くすんだコンクリートの壁とのコントラストがすごい。その塔状の壁を眺めながら緩やかなスロープを登りきると、例の空中庭園が広がる。ブリーズソレイユは強烈な日差しを遮り、チャンティガール地方の乾いた風のみを建物内に取り込む。インドにあるコルビュジェの建物は、どれも粗いコンクリート仕上げであり、邸宅、学校、議事堂や裁判所などの権威的色彩の強い建物が多い。しかし、不思議なことだが、見学していると、フリッツ・クライスラーのバイオリン曲やモーツアルトのオペラ「魔笛」といった軽快な曲が聞こえてくるような錯覚を覚えた。なんだかウキウキと心が弾んでくるのだ。なぜなのだろうか?コルビュジェの建物は、音楽的で人間の身体感覚を呼び起こしてくれる何かが仕掛けられているようだ。

そして、いよいよ「議事堂」に。建築の専門家でない私はここでも妙なことに感心してしまう。それは、思わずワーッと見上げてしまう圧倒的な空間を構成する巨大なコンクリートの壁の所々に、「お魚」、「手のひら」といったレリーフが悪戯書きのように施されているのだ。それも子どもの絵のような素朴で単純な絵柄なのだ。コルビュジェさんって、なんてお茶目なんだろう。

このようにチャンティガールはまさにコルビュジェ建築巡礼の2日間だったのでした。

それにしても、半世紀前、今ほど交通機関も発達しておらず、インターネットもない時代、決して若いとはいえない年齢の建築家が、たった一人フランスからやってきて、何もないインドの荒野に都市を構想する。その都市が50年以上の年月を経て、多くの問題をはらみながらも、州都として歴史を重ね、人々の暮らしを支え、そして世界中から建築家や学生たちを引き寄せている。そして建物は、埃っぽい乾燥した北インドの大地に根を下ろし、その薄茶色の大地や強い日差し、乾いた風と共生している。たぶん、これから50年後も、これってすごい。

yasuko_india0401 yasuko_india0402 yasuko_india0403 yasuko_india0404 yasuko_india0405

インド建築ツアー<3> チャンティガールへ、その1日目

2日間のアーメダバード建築巡礼を終えた一行は、やはり飛行機の遅れから2月28日の真夜中に中継地であるデリーに到着。その5時間後にはデリー中央駅からチャンティガールに向けて、車窓の人々となったのであった。味わいのある車内。一等席だと朝食サービス付きで、乗客一人一人にお茶がサービスされる。私は隣席のインドのおば様の作法を横目で観察して、真似てみることにした。その方法は、まずポットからコップにお湯を注いて粉ミルクを溶かしてから、紅茶のティーバックを入れるというもの。日本だとお茶を出してから最後に粉ミルクを入れるのが普通だろう。けれどもインド流で入れたお茶はいつもよりもおいしく感じた。

電車に揺られて3時間あまり、チャンティガールの駅に到着。ポーターがご一行のたくさんのスーツケースをえっちらおっちら運んでくれている間に、そそくさと冷房のきいたバスに乗り込む。話題はコルビュジェによる都市計画と数々の建築群のこと。ホテルで昼食を終えると、休む間もなく灼熱のチャンティガール建築巡礼を開始。

チャンティガールは、1947年パキスタンがインドから独立した際に、旧州都がパキスタン側に割愛されたことを機に、パンジャブ州の新州都として1950年~65年に建設された。そしてフランスからコルビュジェが招聘され、チャンティガールの都市計画を行うことになった。コルビュジェは街全体を碁盤の目状に47のセクターに分け、それぞれ商業、教育、公園、住居など、機能ごとに区画を配分した。また、広い直線状の道路、各セクターには緑地帯を配し、理想のガーデンシティを目指した。そして、コルビュジェの構想から半世紀がたち、チャンティガールの今はどうなのか・・・

最初に訪ねたのは、街の北に位置する中央官庁エリア。1日目はチャンティガール合同庁舎。左右254メートル、高さ42メートルという巨大な壁のような建物を覆うのは、インドの強い日差しを避けるためのブリーズソレイユ。入館審査を終えた後、緩やかなスロープを登りながら、窓の外に広がるチャンティガールの街全体を眺める。外は目も眩むような強烈な日光、室内はブリーズソレイユによって日差しが遮断されて薄暗く、そのコントラストが建物の印象をさらに強める。コルビュジェにとっては屋上も大切な建築要素。合同庁舎の屋上にもさまざまな空間や仕掛けが施され、まさに空中庭園そのもの。

それから広大な公園のような中央官庁エリアの「開いた手モニュメント」「影の塔」を散歩。ホテルに戻る途中で街のはずれにある人工のスークナ湖畔にあるコルビュジェ設計「ボートクラブ」を見学して、長い巡礼の1日はようやく終了。

yasuko_india0301 yasuko_india0302 yasuko_india0304 yasuko_india0305 yasuko_india0306

インド建築ツアー<2> アーメダバード番外編

せっかくインドに来ているのに、コルビュジェとカーンの建築しか見ない?という不満解消のために、アーメダバードでは、この地方の代表的な建築物である井戸を見学することに。

アーメダバードのあるグジャラート州は乾燥地帯。そのためこの地の統治者たちは、飲料水確保のために多くの井戸を建設した。井戸といっても、穴があって、桶をたらして水を汲むといった簡単な施設ではなく、階段状に掘下げられた堅牢かつ華麗な装飾が施された建築構造物だ。

1日目に訪れたのは、1499年、イスラム様式で建設された「ダーダ・ハリールの階段井戸」。王妃ダーダ・ハリールの廟、モスク、階段井戸を組み合わせた、いうなれば公園墓地のようなところ。井戸は幅6メートル、長さが70メートル、深さ20メートルの規模。現在は井戸としては使用されていないが、地底20メートルの階段状の建物は涼をとる場として、周辺住人の憩いの場であり、子どもたちにとってはかけがえのない遊び場となっている。

翌日訪れたのは、アーメダバードから20キロほど離れた場所にある「ルダの階段井戸」、1502年の建設だ。先の「ダーダ・ハリールの階段井戸」が一直線なのに対し、こちらは3方からの階段が広場に集約されて、そこから井戸に向かって降りていくという建築物としても大掛かりなつくりとなっている。こちらはヒンドゥーの王妃ルダによって造られたので、華麗な細密彫刻が施された豪華な施設となっている。

ここはこの地方の子どもたちにとっては社会科見学の対象になっているのだろうか。幼稚園児から小学生、中学生くらいの子どもたちが多く訪れている。そして井戸底に集結して、構造物による声の共鳴を楽しみながら歌を歌っていた。この華麗な井戸は、単なる水道施設ではなく、今でも市民のパブリックスペースなのだ。

yasuko_india0201 yasuko_india0203 yasuko_india0204 yasuko_india0205 yasuko_india0206

インド建築ツアー<1> 東京ーデリー経由ーアーメダバード

この春、渋谷にオープンしたミニシアター系コンプレックスQ-AXで、「マイ・アーキテクト」という映画が上映され、建築界ではちょっとした話題となった。マイ・アーキテクトとは20世紀のアメリカを代表する建築家ルイス・カーンであり、映画の内容はカーンの息子が亡き父の足跡を辿りながら、その人物像を探るというもの。クライマックスは、カーンの代表作バングラディッシュの首都ダッカに建つ「国会議事堂」のシーン。

以前から、インド、バングラディッシュ、パキスタン、スリランカなど南アジアは是非とも訪れたい地域だった。ただ、初めてのインド、バングラディッシュがカーンとコルビュジェの建築を巡る旅になろうとは・・・。

2月26日、インド建築ツアーの一行は成田空港からデリー経由で、西インドにある古都アーメダバードを目指して出発したのだった。アーメダバードはジャイナ教の「非暴力の精神」に影響された、かのマハトマ・ガンジーがイギリスからの独立運動の拠点とした都市であり、また綿産業の拠点としても栄えた。1950年代に入るとその豊かな資金力から、ル・コルビュジェやルイス・カーンを招聘して、公共建築や富豪たちの邸宅が建設された。今回の建築ツアーの目的はこれらインドモダン建築探訪。

デリー空港までは順調だったが、アーメダバードへのトランジットでいきなり90分遅れ。1時間の飛行のために5時間近くも空港内で足止めをくらう。インドでは、乗り継ぎには最低3時間の余裕を取るのが決まり。アーメダバードに着いたのは真夜中だった。

27日の朝、疲れ知らずの面々は朝から濃厚なカレーを食し、いざ、コルビュジェの「サラバイ邸」へ。サラバイ家はアーメダバード有数の名門一家。コルビュジェ設計の邸宅は、サラバイ一族が所有する広大な敷地の一角にある。建築の考察は専門書にお任せするとして、インドの濃密な自然環境に融和し、50年代の生活様式がそのまま封印されたかのような空間で、今でも人が暮らしているという事実に感慨を覚えた。

続いて、街の中心を流れるサバルマティー河畔に建つコルビュジェ設計の「繊維業会館」を訪問。ドミノシステムの3層構造の建物で、インドの強烈な日差しを避けるためのブリーズソレイユが印象的。戸外と屋内が共存する開放感溢れる空間を通り過ぎる川からの涼風が心地よい。

ランチを挟んで、一番気温の高い3時頃、カーン設計の「インド経営大学」へ。広大な敷地に幾何学的な建物が連続性を持って配置されている。建物のスケール感、蜃気楼が見えるほどの暑さ、人気のなさ(暑さのために戸外に居れない)が、形而上絵画を始めたジョルジュ・デ・キリコの絵画のようだ。

他にも、コルビュジェによる渦巻状に成長する美術館構想に基づき、アーメダバード、チャンティガール、東京上野に建設された美術館のひとつ「サンスカル・ケンドラ美術館」、コルビュジェの弟子であり、後に自国に戻ってコルビュジェとカーンのインドプロジェクトを支えたインド人建築家ドーシのアトリエ「サンガス」、「ガンディー労働研究所」「H・D・グファ美術館」、外観だけだったがコルビュジェの「ショーダン邸」と、たった2日間に8つのモダン建築、プラス、2つの井戸を訪問。これは、建築巡礼の旅?

yasuko_india0101 yasuko_india0102 yasuko_india0103 yasuko_india0104 yasuko_india0105 yasuko_india0106