「当たり前の再発見」「気づきの触発」「向こう側への思い」。妻有アートトリエンナーレを訪ねて感じたことの第一は、これだった。
2006年度の作品の中に「たくさんの失われた窓のために」(内海昭子作)という巨大な窓枠のようなオブジェがある。風にたなびく半透明のカーテンがかけられたフレームを通して見られる里山の景色は、巨大な風景画と変貌し、大地の美しさを際立たせる。これは、当たり前に存在する風景の再発見に他ならない。
新潟中越地震、あるいは豪雪のためなのか、壁が傾き、床が軋む農家。もはや住人を失った廃屋でも、アートが持ち込まれることによって、かつての人々の営みの存在に想いを巡らせ、豪雪地帯ならではの暮らしの知恵を気づかせてくれる。そして、無意識に都会の便利で快適な生活と、辛抱のいる慎ましい北国の暮らしぶりを比べて、自分にはとうていここで生活することは無理だなあ、などと考えてしまう。けれど、夏の間だけ百日草やカンナといった懐かしい花々が咲き乱れる華やかな農家の庭先を歩くとき、ここで暮らす人たちの並々ならぬ「生」への執着を感じ、なぜか心が和んでくる。