レオナルド・ダ・ヴィンチの生家を訪ねる

9月中旬イタリアに行きました。ローマ、フィレンツェ、ミラノというお決まりコースです。各都市幾度か行っているので名所はすでに確認済みだし、しかも何度でも訪れたいミュージアムはどこも長蛇の列。バチカン美術館もウィッツィ美術館も、ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』も、80年代までは行列もなければ、予約なんて考えられなかったのに・・・、やはり海外旅行はこの20年ほどの間に飛躍的に増加したわけです。そんな今回の旅のトピックは、「レオナルド・ダ・ヴィンチの生家を訪ねる」でありました。

およそ建築やデザインを仕事にする者にとって、ダ・ヴィンチは「神様のような存在」ではないでしょうか。ダ・ヴィンチの信望者の一人である私も当然、生家を訪ねる前にウィッツィ美術館で彼の初期の作品を鑑賞すべきでしょうが、ロッジアにそってエントランスからアルノ川に至る長蛇の列を見て思わず断念。街中をぶらついているとミラノの「レオナルド・ダ・ヴィンチ博物館」の別館のようなギャラリーを発見。レオナルドが構想した飛行機、潜水具、自転車、戦車などなど、現代に通じる数々の技術や道具の基が木製模型とスケッチと共に展示されており、その万能ぶりを再確認したわけです。

そしていよいよ、生家へ。ヴィンチ村はフィレンツェ市内からクルマで90分ほど、トスカーナの丘陵地にあります。小さな村の中心には今はダ・ヴィンチ博物館になっている古城があり、その周辺は12、3世紀の佇まいがそのまま残っています。生家はそこからさらにオリーブ畑の中を30分以上登った高台にあるのです。舗装もされていないオリーブ畑の小道、「ダ・ヴィンチの生家 ⇒」という道標を信じて歩き続けます。

レオナルドの生家は想像以上に魅力的な空間でした。母屋と納屋なのでしょうか、建物は2つ、L字型に配されています。母屋は150平米程度の平屋、大きな暖炉のある部屋を中心に左右に2間、壁も床も天井も装飾なしの石造り。壁は厚味が40センチほどもあり、床は石畳のように凸凹しています。母屋と納屋はブリッジでつながっており、そこに大きな石釜が残っていました。この釜でレオナルドも食したであろうパンが焼かれたのですね。また、生家は丘陵地の突端に建っていて、トスカーナの風景を独り占めしているような場所です。そして耳を澄ませば、鳥の声、風の音、教会の鐘・・・この中で、レオナルド少年は自然と遊び、観察し、絵を描き始めたのでしょう。

そんなことを思っていたら、出発直前に聞いたグラフィックデザイナー原研哉さんの講演の一説を思い出しました。「知性と感性の融合した人物としてはレオナルド・ダ・ヴィンチが居ます。彼は当然IQが高いとは思いますが、それと同時に絵画を描くスキル、その身体能力が極めて高いわけですよね。彼は高い知力と絵を描くというスキルを得ることによって、サイエンティストとしてのあらゆる知識を現代に伝えることができたのです。現在問題なのはダ・ヴィンチにように絵を描くスキルをもった人がいなくなったこと。これはすなわちダ・ヴィンチのような感性や能力も失なわれたということですね。だから、現在ではああいうものが描けなくなってしまったし、アウトプットも出せなくなってしまったと・・・そういうふうなことだと思います」。

そういえば、日本画家の千住博さんも、彼の代表作となった滝シリーズ『ウォーター・フォール』の誕生について、「あるとき、私は滝を描きました。自然の滝は水が上から下に流れるもの、・・・であれば絵の具を上から下に流してみる。これは芭蕉が言った「造化」に通じるのではないかと考えたのです。そして自然に流れた形そのものに美を見出していく。これこそが、技術と内容、言葉と心が一致する「花実相兼」ということなのではないか」と語っていらっしゃいました。

お二人は全く違った文脈の中で語っているわけですが、「思考や表現という行為において、身についた技術(スキルやテクニック)がいかに大切なのか再認識すべき」という点で共通しているように感じます。

そうこうしているうちにトスカーナの日没です。美しい夕焼けの映像は写真集やデジタル画像でいくらでも見ることができる現代です。しかし、東京-ローマを飛行機で約12時間、ローマ-フィレンツェが特急列車で約2時間半、フィレンツェ-ヴィンチ村クルマで90分、ヴィンチ村-生家徒歩で30分、自分の身体をこれだけのプロセスと時間をかけて移動させて来たからこそ、実感できる夕焼けの美しさです。思わず両手を伸ばして深呼吸・・・

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