2日間のアーメダバード建築巡礼を終えた一行は、やはり飛行機の遅れから2月28日の真夜中に中継地であるデリーに到着。その5時間後にはデリー中央駅からチャンティガールに向けて、車窓の人々となったのであった。味わいのある車内。一等席だと朝食サービス付きで、乗客一人一人にお茶がサービスされる。私は隣席のインドのおば様の作法を横目で観察して、真似てみることにした。その方法は、まずポットからコップにお湯を注いて粉ミルクを溶かしてから、紅茶のティーバックを入れるというもの。日本だとお茶を出してから最後に粉ミルクを入れるのが普通だろう。けれどもインド流で入れたお茶はいつもよりもおいしく感じた。
電車に揺られて3時間あまり、チャンティガールの駅に到着。ポーターがご一行のたくさんのスーツケースをえっちらおっちら運んでくれている間に、そそくさと冷房のきいたバスに乗り込む。話題はコルビュジェによる都市計画と数々の建築群のこと。ホテルで昼食を終えると、休む間もなく灼熱のチャンティガール建築巡礼を開始。
チャンティガールは、1947年パキスタンがインドから独立した際に、旧州都がパキスタン側に割愛されたことを機に、パンジャブ州の新州都として1950年~65年に建設された。そしてフランスからコルビュジェが招聘され、チャンティガールの都市計画を行うことになった。コルビュジェは街全体を碁盤の目状に47のセクターに分け、それぞれ商業、教育、公園、住居など、機能ごとに区画を配分した。また、広い直線状の道路、各セクターには緑地帯を配し、理想のガーデンシティを目指した。そして、コルビュジェの構想から半世紀がたち、チャンティガールの今はどうなのか・・・
最初に訪ねたのは、街の北に位置する中央官庁エリア。1日目はチャンティガール合同庁舎。左右254メートル、高さ42メートルという巨大な壁のような建物を覆うのは、インドの強い日差しを避けるためのブリーズソレイユ。入館審査を終えた後、緩やかなスロープを登りながら、窓の外に広がるチャンティガールの街全体を眺める。外は目も眩むような強烈な日光、室内はブリーズソレイユによって日差しが遮断されて薄暗く、そのコントラストが建物の印象をさらに強める。コルビュジェにとっては屋上も大切な建築要素。合同庁舎の屋上にもさまざまな空間や仕掛けが施され、まさに空中庭園そのもの。
それから広大な公園のような中央官庁エリアの「開いた手モニュメント」「影の塔」を散歩。ホテルに戻る途中で街のはずれにある人工のスークナ湖畔にあるコルビュジェ設計「ボートクラブ」を見学して、長い巡礼の1日はようやく終了。