「桃源郷」「シャングリラ」という言葉を知っている人は多いと思います。麗江周辺の地域こそ、この理想郷であると言われています。確かに、標高2500メートルの高地、空は限りなく青く、空気は澄み、玉龍雪山から流れる玉龍川の水は透明で、花々は咲き乱れ、年間を通して穏やかな気候、こんな恵まれた土地に暮らす人々は穏やかで優しく、少しシャイで、異郷からやってきた旅人にとって、まさに理想郷であったに違いありません。そしてこの理想郷の住人がナシ族の人々なのです。
ナシ族はトンパ教という原始宗教を中心に独特の文化を築いてきました。そして文化の中心にいるのがトンパ(東巴)と呼ばれる長老たちであり、彼らが使っているのが世界で唯一といわれる象形文字、トンパ文字です。トンパ文字はグラフィックデザイナーの浅葉克己さんが紹介しており、私たちにとっても馴染み深い文字ではあります。今回の旅の案内人である王超鷹さんも長年トンパ文字を研究しており、その成果を出版という形で日本でも広く紹介しています。
象形文字であるトンパ文字で書かれた文献や看板は、まるで一枚の絵のようです。同じ文字であっても色や書かれる位置によってその意味が変ってきます。例えば「人」という文字でも、赤で描かれていれば心の暖かい良い人、黄色であればお金持ちの人という意味が含まれるそうです。また、トンパ文字は用紙の左上から順を追って書かれますが、文字の位置や並べ方によって文章の内容が変ってきます。それだけ、意味しているものの含みが大きく、読み手の想像力が膨らむ文字であるといえます。
編集という仕事に携わる私にとって、文章を書くという行為は、自分の意思や考えを的確に正確に伝えることを第一とします。相手に誤解を与えないようにとか、自分の思いを可能な限り正確に伝えようと努力するわけです。ところが、トンパ文字は何かを伝えるという目的ももちろん重要なのですが、メッセージをどのように受け取るかは読み手である相手に委ねている部分が多いために、イメージは限りなく膨らんでいくのです。
デジタル技術の発展に伴い、情報はテキスト、ビジュアルイメージ、データ、サウンドなどマルチに融合されて高密度化しています。そこには読み手、受け手が自分なりの想像力を膨らませたりする隙間はありません。私たちは緻密に設計された情報をそのまま受け入れ、どんどん消費していきます。
一方で、含みの多いトンパ文字は、情報の正確さという点では劣るかもしれませんが、託された書き手のメッセージを読み手はどう受け取るか・・・麗江周辺の広大な自然に負けないくらいの雄大さ、大らかさがあります。このようなある種あいまいな文字を使いながら平和に暮らしてきたナシ族の人々の、心の大きさをうらやましいと感じるわけです。また、どんどん高度化、精密化するデジタル情報の中に、トンパ文字のような大らかさが組み込めないものか、とも考えるわけです。
ちなみに王さんは、トンパ文化研究所に滞在し文字の研究を行い、現在も保存活動に深く関わっています。