10月8日まで東京都美術館で開催される「楽園としての芸術」展(~10月8日まで)のプレビューに行った。本展は最近話題のアウトサイダーアートの一領域として注目されているダウン症の人々の作品展。三重県と東京に拠点を置く「アトリエ・エレマン・プレザン」と鹿児島の「しょうぶ学園」で制作された絵画、立体、生活用品などなど、見ごたえのある作品が展示されている。本展のパンフレットには「制作を通じて心が解き放たれ、その結果生まれたものが、また人の心を揺り動かすという奇跡のようなつながり・・・」と記されているが、まさにその通り。
何より、彼らの作品は、現代人(とくに表現者)をがんじがらめにしている「自我」や「自己主張」から解き放たれた清々しさに溢れている。それはラスコー洞窟に描かれた動物たち、アボリジーの人々が描くパターン図であったり、フランスの郵便配達人が30年以上かけて作り上げたシュヴァルの理想宮、江戸時代の僧円空が彫り続けた仏像にも通じる、無心の表現であり、創造という行為を凝縮している。たとえば色彩の透明感、タッチの軽妙さなど、迷いや逡巡がなく、その純粋さに思わず一歩引いてしまうほどだ。
けれども、表現の世界で大きな可能性を秘めているダウン症の人々が置かれている状況は、決して良いものではない。今回のような多くの理解者や協力者に恵まれ、アートという自己表現の手段を持ち活動できている人々はほんの一握りだろう。実際、親や兄弟の支えがなければ普通に生活することもままならないのが現状だ。また、新型出生前診断の普及によって、さまざまな出産リスクが事前にわかるようになった結果、「命の選別」などの新たな倫理問題も浮上しつつある。
彼らの作品が社会のしがらみや煩わしささから一線を画している「楽園」であるからこそ、それをいかにして守り、育んでいけるのか・・・そんなことを考えずにはいられない。ヨーロッパ、とくにドイツやイギリスには、シュタイナーの思想から発生したキャンプヒルという活動がある。シュタイナー教材である楽器や遊具の生産などを軸に、精神的不安を持った人とサポートする人々がコミュニティを形成し、永続的に安定した生活を保障する社会活動だ。アトリエ・エレマン・プレゼンが掲げる「ダウンズ・タウン」構想(写真下)が実現されることを願いたい。
Photos/ YASUKO SEKI